最近何かと話題のトリニダッド発祥の音楽、Soca 『ソカ』について考察しているシリーズ、今日は第二部に行ってみようと思う。
第一部を見逃した方は
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さて前回では、80年代までのオールドスクールなソカについて、その成り立ちやカリプソとの違い、特徴などについてまとめてみた。今回では、90年代を経て現代までの、(便宜上、こう呼ばせていただくが)言わばニュースクール・ソカに焦点をあててみたい。例えば、ひとくちに『レゲエ』と言っても、ボブ・マーリーを頂点とするルーツ・ロックに、ウェイン・ワンダー等の歌うラバーズ・ロック、ビー二マンに代表されるようなダンスホールスタイルというようにそれぞれ全く違うサウンドが聴かれるが、そういった表現上のコンセプトやスタイル、さらには対象とされるリスナーの違いが、ソカという音楽にもまた見られる。
70年代初頭〜80年代にかけての、まだカリプソのテイストが色濃く残るオールドスクールなソカは、練り上げられたリリックと、ビートの効いたダンサブルなサウンドの両面でリスナーを楽しませた。もちろん現代のソカの中にも、深いメッセージ性とダンスミュージックとしての楽しさのバランスのとれた、かつてのソカを彷佛とさせるような佳曲も存在しているし、カリプソ〜ソカの創成期を経て現代に至る大御所アーティスト達も、まだまだ第一線で健在である。件のDavid Rudder
(先日の記事を参照)やShadow、Mighty Sparrowら一流のアーティスト達は、ソカのサウンドをバックにしても、相変わらず味わい深い貫禄のあるパフォーマンスで新旧のファンを唸らせてくれている。彼等の本質的なスタンスは、サウンド的な変遷を経ても今も昔も変りなく、誇り高きレヴェラー=反逆者でありメッセンジャーである『カリプソニアン』なのだ。
しかしながら、現代のメインストリームのソカでは、カーニバルという空間においていかに群衆を煽るか、熱狂の渦に叩き込み、ひたすら踊りに没頭させるかに音楽的な主眼が移っていると言えるだろう。そのため、前回・第一部で触れた古参のカリプソニアン、Chalkdustの発言を引用するようだが、"Jump, wine and put yuh flag up"『ジャンプしろ、腰を揺らせ、旗を振れ』のお約束の3語で成立してしまうような曲もあると言っても過言ではない。他にも、分かりやすい(辛辣に言えば、陳腐な)ラブソングや、とにかく踊ろうぜ的なリリックの曲が、かなりの割合を占めている。カリプソやかつてのソカが持っていたような知的なエンタテイメント性、思わずにんまりしてしまったり、頷かされるようなヒネリやストーリー展開、歌手同士のマイク・バトル的な面白さといったものが希薄になってきている。まず派手なトラックありきで、そこに語呂のよさそうなリリックをちょっとのせてみました的なイージーな印象をどうしても受けがちだ。リリックの持つメッセージ性が大幅に低下しているこういった状況には、コンシャスでオールドスクーラーのトリニダディアンなら "poetry" ポエトリー、つまり詩心のカケラも感じられない、歌詞をないがしろにしているとぼやくほどだ。(…例えばうちのコラーニ氏とか。もっとも、今時の若者ではかなり珍しい、硬派過ぎる意見かもしれないが。)
(余談だが、現代のアメリカにおけるヒップホップでも同様の現象が見られるように思われて仕方ない。例えば"神様”ラキムや反体制のアイコンだったパブリック・エネミー、ハードなEPMDと、今や全盛を誇るサウスの『イエ〜!!!』なクランク一派が、果たして同じジャンルの音楽をやっていると断言できるだろうか?)
しかしながら、カーニバルという非日常的な空間において、桁外れの数の群衆を相手にパフォーマンスを行う場合では特に、わかりやすいフレーズの連呼によりオーディエンスとの一体感を高めていく、という方法が音楽的に有効であることは確かだ。アフリカにルーツをもつ黒人音楽の伝統として『コール・アンド・レスポンス』、パフォーマーと聞き手(時にパフォーマー同士)の掛け合いがあり、これはアメリカのジャズやゴスペルにも顕著に聴かれる手法である。カーニバル音楽としてのカリプソ、ソカも無論、そのアイデアに基づいて発展してきたわけだが、そこにトリニダッドという国独特のクロス・カルチャーの影響が加わり成立した、ある意味、究極のアートフォームが今日聴かれるソカではないだろうか。
パーティを盛り上げる同じダンス・ミュージックでも、カリプソやオールドスクール・ソカが文武両道なら、ニュースクール・ソカは武闘派寄りとでも言えそうだ。前者、後者共にルーツを同じくし、カーニバルを通じて発展してきた音楽ではあるものの、もはや音楽上のコンセプトも異なれば、リスナーから求められる目的も異なっている。トリニダッドで19世紀初頭から続くカーニバルでの仮装、Mas(マスカレード)のスタイルが時代と共に変容してきたのと同じだ。昔は伝説に基づいたストーリー性のある仮装や、芸術的な完成度を競う装飾が見ものであり、華やかながらも素朴でプリミティブな要素の強いパレードが多かった。一方、現代ではとにかく露出度の高い『ビーズ&ビキニ・マス』、つまり色とりどりのビーズで彩られた水着のように大胆で、激しいダンスに適した仮装が主流となっている。車に例えるならばヴィンテージのクラッシック・カーと最新のスポーツ・カーの違いのようなもので、どちらもそれぞれに良さがあるものだ。現在でも、伝統的な仮装は"ole mas"(オールド・マス)として受け継がれている。そして年配の世代はカリプソ・テント
(過去の記事参照)で往時を忍び、若者達はきらびやかなビーズ&ビキニに身を包み、巨大スピーカーから流れるソカのサウンドで踊り狂う。そんな伝統と最新の流行が自在に交錯する場がカーニバルなのだ。
パート3につづく