前回、日本ではあまり馴染みがないものの、カリブ諸島一帯&我々のブランド"COSKEL UNIVERSITY"ではマストな、トリニダッド(日本ではトリニダードという表記が多いのはなぜだろう)生まれの音楽、Calypso『カリプソ』について
一通り書いてみた。今日からは、ここ2、3年で急速に世界的な認知度の高まっている、Soca『ソカ』について、何回かに分けて考察してみたいと思う。
この『ソカ』の定義には、実は諸説あり複雑だ。前回のカリプソの巻でも少々触れたが、一時代前のオールドスクール・ソカと、現代のニュースクール・ソカ(と、ここでは便宜上呼びたい)とでは、根っこは同じとは言え、聴く者には180度違う印象を与える。両者は同ジャンルに属してはいるものの、サウンド上のコンセプトから歌詞の内容まで、実に様々な点で異なる組成を持っているのだ。
まず、『ソカ』の語源だが、一般的に言われている、"soul + calypso = soca" ソウルとカリプソが合わさってソカ、は実は真に適切な説明とは言い難い。時は1963年に遡る。カリプソニアン、Lord Shortyが "Cloak and Dagger"という曲で実験的に、インド音楽に使われるdhantal, tabra, dholakといった楽器を取り入れ、本来のメロディアスで軽快なカリプソに、メリハリのある強烈なインドのリズムを組み合わせるという試みを行った。言わばアフリカとインドのリズムを合成しエッセンスを抽出したような音楽を生み出したわけである。このスタイルはすぐに当時の音楽界の一大トレンドとなり、多くのフォロワーが出た。Lord Shortyは自らの音楽的発見を、"solca", soul of calypso、と形容しそれが後に、音楽ジャーナリストによって"soca"と言い換えられた…というのがソカの出発点だった。つまり、元々のソカはソウルとカリプソのフュージョンではなく、インド風味、言うなればカレー味のカリプソ、のようなものだったわけだ。
なぜこんな、語源のような細かい点にこだわる必要があるかというと、サウンド面でソカにあってカリプソには無いもの、それはインド音楽の影響であることは明白だからだ。カリプソがそのルーツを西アフリカに持つアフロ・カリビアン音楽と称される一方で、ソカは言うなればアフロ・インディアン・カリビアン音楽である。どれがカリプソでどれがソカの境目か、多くは録音された年代やミュージシャンの名前で分けられる傾向にあるが、当のミュージシャンにとっては、ただ自分の気分にしっくりくるスタイルで音楽を表現しているだけ、ジャンル分けなどは最も意味の無い事だろう。が、私個人としては、テンポなども含めたリズム上の構成に、インド音楽の影響が聴きとれるものをソカと定義している。ところが、自他共に認めるカリプソ通トリニダディアンで、自身もミュージシャンである当ブランドのデザイナーのひとり、コラーニ氏は、ソカとカリプソの違いをあえて言うならば、それは歌詞の内容、歌詞に対するスタンスだと断言する。ゆえに、一般的にはソカのミュージシャンとして紹介されている人物も、彼的にはカリプソニアンと捉えている場合が多い。なぜ歌詞の内容が影響するのか、それは後段の文章で明らかになるのでそれを読まれたい。
さて、話を進めると、インド音楽のリズムを取り入れたカリプソがさらに洗練され、ソカとして、カリブ圏においてレゲエと肩を並べるほどの人気の音楽ジャンルとなったのが70年代。この頃になると、ソウル、ファンク、ディスコミュージックといった、当時のアメリカで最先端を行っていた音楽の影響が強く反映されるようになり、多くのカリプソニアンがアメリカ・ニューヨークでレコーディングするようになった。多くの人々が言う文字通りの"soul + calypso"的な、ポピュラーミュージックとしてのソカのスタイルがここに確立され、ごく初期のソカで特に強調されていたインド的な要素は一旦、影を潜める。ソカはよりそのテンポを速め、強烈なパーカッションを加えビートが強調された、ダンサブルで親しみやすいパーティ音楽となっていった。が、一方で、カリプソから受け継がれたはずの批判・革命精神、詩的・言葉遊び的な面といった歌詞を味わう面白さは徐々に失われていった。
この点に関しては、ソカに対して反感を抱くカリプソニアンも少なくはなく、むしろソカとは別にヒップホップの要素を取り入れて独自のスタイルを築き上げつつあった、ラップ+カリプソのフュージョン、Rapso(ラプソ)に共感を寄せる者もあった。このラプソについてはまた後に詳しく触れたいと思うが、結局、海外での成功も含めて圧倒的な幅広い支持を勝ち得たのは、トリニ特有の方言とカリプソ譲りのリリックの濃さにとことんこだわるラプソよりも、わかりやすく踊れるソカであった。
英米圏での最初のソカのヒットは、実はトリニダッドのアーティストによるものではなかった。極めてトリニ的でローカルなノリのソカではなく、良くも悪くもわかりやすくポップな曲が海外での成功を掴んだわけだ。80年代になると、ソカのスタイルを始めたLord Shortyでさえ『もはやソカは人々のスピリットを鼓舞するものではなく、女の尻ばかりを有り難がる音楽に成り下がった』との失望を表し、ラスタファリズムに傾倒した彼はRas Shorty I と改名して、よりスピリチュアルな方向へと転換した。古参のカリプソニアンであったChalkdustもまた、『オーディエンスを踊らせるには、わかりやすい言葉を2、3語だけ使って歌わにゃならんのか?旨いウィスキーをわざわざ水で薄めるようなもんだ』との言葉を残している。要は、中身が薄くなった、本来のカリプソの持っていた深みやコクが、ソカのダンスミュージックとしての発展により、かえって薄められてしまったとの認識が、伝統に忠実なカリプソニアンたちの間ではあったわけだ。
(次回、
part 2へ続く)