本日より、相方コラーニ氏のアイデアで、新コーナーが登場。題して、"Trini Dictionary"、トリニダッドの言葉について、毎回少しずつご紹介していきたいと思う。曰く、トリニの言葉には面白い表現がいっぱいあるし、カリプソやソカの歌詞にも頻繁に出てくるし、言葉も含めて、もっとトリニの文化について知ってもらえたらいいよね、とのことで、始めてみた企画である。
トリニ語、とはいえ、基本は英語。ただ、米英語を話す者からすると、まったく聞いたこともないような言い回しや、単語、一風変わった文法が多数存在する。地元の人間にしかわからない、符丁のような表現もたくさんある。
ジャマイカの英語、俗にいう『パトワ』と比べると、トリニの英語というのは、まだまだ無名に近い存在ではないだろうか。ちなみに、パトワとは、最近のレゲエブームに乗ってその呼称が一人歩きした結果、ジャマイカン・イングリッシュを意味すると思われがちだが、本来はカリブ諸島地域で、訛りのある英語、言うなれば、方言を指す表現なのである。したがって、トリニ語もパトワの一種である。
最近は日本でも、ジャマイカン・パトワを教えるスクールがあるそうで、レゲエファンの間では学ぶ人も増えているようだが、確かに、ジャマイカン・パトワは非常に独特な言葉であって、ほとんど英語からかけ離れているようなところがあるので、学ばないと全く何を言っているのか分からない、レゲエ(ダンスホールDJ)の歌詞をちゃんと理解したい、といったこともあるのだろう。ただ、ジャマイカン・パトワは、文法もまったく独自のものを持ち、非常にブロークンな英語であるため、きちんと教育を受けた他国のカリビアンの間では、じつはあまり良い印象を持たれていない。彼等とて、公の場やビジネスの場では、標準的な英語を話すように心掛けている。社会的成功、出世を目指すなら尚更だ。もちろん、異文化をより身近に感じよう、現地に溶け込もうとパトワを学ぶのは良い事だけれど、焦って一足飛びせずに、まずは基本的な、きちんとした英語も一通りは学んでいただきたいなと、NYに暮らし、仕事している者としては、思ってしまうところが少々無くもない。どうも、本末転倒ではという気がしてしまう。
トリニ語は、ジャマイカ語ほど英語としてブロークンではないのだが、米英語に慣れた耳にはかなり聴き取りにくいだろう。独特の言い回しが多いのだ。何事もそうだが、習うより慣れろで、まずは慣れるしかない。筆者も、親しい人たちの言っていることは理解できるものの、まだまだである。トリニたちが話すのを聞いていると、歌うような、ときにからかっているような、独特の上がり下がりのある軽やかなイントネーションが特徴的で、なかなかに心地よい。その風変わりなリズムは、カリプソやソカといった音楽にも色濃く反映されているといえる。
と、前置きが少々長くなったが、第一回の今日は、基本的なものからご紹介したい。
米英語では、『わたし』は"I" となるが、トリニでは、"Ah"と表記、発音される。『あー』である。大御所カリプソニアンのBlack Stalinの名曲、" Ah Feel to Party"は、"I feel to party." の意味である。(今夜は)パーティしたい気分、というわけだ。"I" の代わりに、"Ah tired."("I'm tired.") という風に使う。be動詞はすっとばしている。
さらに、この"ah"は、"an apple"などのような、前置詞の"a"としても使われるので少しややこしいか。
また、米英語では、"my lover"『私の恋人』のように所有格としてmyを使うところ、トリニ語では、"meh"もしくは、"mih"と表記する(口語表現のため若干、人によって綴りが異なるようだ)。『め』または、『みえ』のような発音になる。すなわち、"meh (mih) lover"となるわけである。同名のタイトルが、ベテラン・カリプソニアンのLord Nelsonの曲にある。また、"me"も、トリニでは"meh"になる。"give me"ではなく、"give meh"である。
"you"はどうか。トリニでは、"Yuh"となる。文章だと表現が難しいのだが、『やあ』のような『ゆう』のような感じ。前後の単語によって発音が変わってくる感じだが、綴り上はそうなる。よく、"All yuh"という表現が聞かれるが、これは、君たち、あなたたち皆、といった意味だ。米英語なら、"everybody of you", "all of you guys" のような感じだろうか。
"She"、その所有格は、米英語なら"her"だが、トリニ語では全く変化しない。本来、"in her party"『彼女のパーティで』となるはずが、"in she party"になってしまう。対して、"He"のほうは、普通に"his"になるようだ。
"Let's"は、トリニでは"Leh"『れー』。"Let's go=Let us go"は、"Leh we go"となる。これは、カリプソの掛け声でよく聞かれる。人気カリプソニアンのScrunterが、キャッチフレーズのような感じで、楽曲中で多用している。"us"じゃなくて、"we"でよいのである、トリニでは。
そのほか、米英語で否定形の"Don't "というところ、トリニでは"Doh"となる。『どー』と発音する。"Can't"は、"Cyah"『きゃー』になる。"No"は"Nah"『なあ』だ。例えば、米英語でいう"Not at all"『全く〜でない』や、"Never"、もしくは"No Way"などの強い否定は、"Nah man"で済んでしまうのがトリニ語(笑)。なんとかかんとかプラス、"man"という言い方が非常に多い。この、"man"には特に意味はなく、口癖のようなものだ。我が相方も、一日に数百回は言ってるのではないか(笑)。同様に、文末に、"boy"とつけるのもよくある例だが、これも特に深い意味はない。あえて言うなら、"man"も"boy"も、その通りとか、飽きれた、参ったといった、強調のニュアンスを加える感じで使われるだろうか。よく、米英語のスラングで、"Oh boy"などと言うのと似ている。センテンスが、"man, なんとかかんとか"ではじまって、"かくかくしかじか, boy"で終わることも、トリニ語ではよくある。
前置詞、"the"は、"de"『でぃ』、これは、COSKELのサイトでも、見出しなどでよく使われているので、お気付きの方も多いだろう。その他、"for"は"fuh"『ふぉ』と『ふぁ』の中間のような感じ、"to"は"tuh"『とう』と『とあ』の中間のような感じとなる。いずれも、文章で書くと何とも難しいのだが、"yuh"同様、最後の音節が強い。"Fur real?"は、米英語の"For real?" (マジ?)、"come tuh lime"は、"come to lime" (ライムしにやって来る)の意味だ。
"this is~"の"this"は"dis"と表記する。"that"は"dat"となる時もあるし、そのままの場合も。Lord Kitchenerの名曲、"Mama dis is Mas"など。
何処?と聞くときの、"where"は、トリニだと"whey"『うぇい』とか、"weh"『うぇ』になる。"Whey he going? "(奴はどこ行くんだ?)など。
とまあ、このあたりが大体基本だろうか。これらがセンテンスの中に組み込まれて、いろいろな慣用句やら言い回しになっていくのだが、それらは追って取り上げていきたいと思う。