今年のレイバーデイ・ウィークエンド期間中、スティールバンドのコンテストのパノラマやカーニバルのパレードを観に、日本のパンマンの方々が何人かNYに滞在されていました。皆さんとリンクできればと楽しみにしていたのですが、残念ながらなかなかスケジュールが合わず…それでも、横浜のスティールバンド、
Panlandで活躍されている、みづきさんとはお会いすることができました(その節は、ありがとうございました。今後も演奏活動、ぜひ頑張ってください!またお会いしましょう)。
その時にいただいたのが『パンマガ』。大阪のバンド・
Panpleのメンバー、大西ゆかりさんと有志の方々が、今年の2月に行われた本場・トリニダードのカーニバルでのパノラマ出場体験を、豊富な写真と詳細な解説でまとめられた冊子です。ぜひ拝読したいと思っていたところ、今回、思いがけずお譲りいただけて感激しました(ゆかりさん、お心づかいありがとうございました。またの機会にはぜひお会いできればと思います)。
この『パンマガ』ですが、Phase IIという現地の有力バンドに入団されたゆかりさんが、パンヤード(スティールパンの練習場)で経験された心温まるエピソード、そして感涙のパノラマ決勝出場→優勝!はもちろん、カーニバル時期のトリニの街や人々の様子までが、傑作写真の数々やユーモラスなイラストと共に余すところなく綴られています。トリニに行ったことのある方はもちろん、これから行ってみたいという方まで大満足、必携の一冊です。何といっても、すべての情報が、生の体験に基づいているという点で貴重です。現地でのホテル選びからタクシーの乗り方、入国ビザの取り方などなど、そこらの旅行ガイドブックなんかよりも、ずっと詳しくて頼りになる内容です。現在のところは、まだ発行されて間もないということで、主に全国のパンのイベント会場やPanpleさんのサイトで販売されていますが、いずれはぜひ!書店売りしていただきたいと強く感じています。
その『パンマガ』に掲載されているたくさんの写真のなかで、いろいろな意味で心に残る一枚が、下の画像です(スキャン後、著作権表示をさせていただきました)。
これが、トリニダードを代表する、スティールバンドの伝説的アレンジャー(編曲家。事実上のバンドマスターのような存在で、ソカやカリプソなどの曲を独自にアレンジして、スティールバンドの演奏曲にふさわしく仕立て上げる役割)である、Clive Bradley『クライヴ・ブラッドリー』氏が現在眠っているお墓だそうです。土まんじゅうの上に、棒が一本。昨年、69歳で亡くなられたこのブラッドリー氏は、言わばスティールバンド界のデューク・エリントンのようなお方。スティールパンが世界的に広まるきっかけを生み出したのもこの方なら、歴史に残る名演奏の数々でトリニダードを陶酔の渦にたたき込んできたのもこの方。あまりに簡素すぎる彼の墓所を見るにしのびなく、ゆかりさん達ご一行の手で、日本から持参した千羽鶴で飾り付けしたそうです。そして、有志の皆さんで今、Bradley氏の関わった音源を集めた追悼盤CDを企画されていて、まずは彼の偉大な功績をより多くの人々に知ってもらい、売り上げの一部はお墓の整備に充てたいとのことでいろいろと準備されていらっしゃいます。詳しい情報はこちら、Panpleさんの特設ページをご覧ください:
STEEL LOVE FROM CLIVE BRADLEY
一方、うちの相方がこの写真を見てショックを受け、彼なりに問題提起してみたのがこちらです:
Is this the Best we can do (for Clive Bradley)
Bradley氏のお墓の様子を初めて見たトリニたちから、いろいろな声が上がっています。信じられない、心が痛む、恥ずかしく思う、なぜ政府は何もしないのか、なぜ自分達でなく外国人のほうが気にかけてくれているのか… あるいは、氏はドラッグ依存症だったから、近親者からはあまり良く思われていないのではなんて穿った意見まで。興味深いところでは、『公の共同墓地では、墓石を置いてはいけない決まりらしい。ブラッドリー氏は母親のとなりに埋葬されることを望んだので、彼の意志を尊重した結果こうなった』という意見も出ています。一方で、葬儀の様子(お葬式自体はかなり盛大だったようです)を収めた写真アルバムがあるのですが
(Trinbago Pan)、そこに掲載されているものを見る限りは、他の人の墓には墓石らしきものが立っています(写真下)。
おそらく、彼の遺族や非常に近しい人々に直接、聞いてみるほかは真相を確かめる術はないと思うのですが…何とも不可思議な話ではあります(こんな有名な人のお墓を巡って、はっきりした話が見えてこないというのは変)。ですが、例えば、カリプソの最初の巨匠・Roaring Lionや、チャットニーの生みの親であるSundar Popoといった偉大なミュージシャンたちも、貧困の中でひっそりとこの世を去っていますので、残念ながら、トリニダードという国ではこのような事はそれほど珍しくもないようです。亡くなってしまえば、お葬式して追悼ソングを作って、ああいい人だったよね〜今でも愛してるよ〜でOK、ということなのでしょうか。後から彼を偲んで墓所を訪れる人がいるかもしれないという発想はないのでしょうか。しがらみのない自由な国民性が数々の素晴らしい芸術を生み出してきた一方で、案外、裏を返せばあまりに無頓着ともいえる彼等らしいのかもしれません。ちっとも評価できませんが。何らかの事情があるにしろ、これだけの偉大なミュージシャンの眠る場所なのだから、墓標ぐらいは立てたってよいのではないでしょうか。上記のIslandmixの掲示板でも訴えが出ていますが、少なくとも、彼にお世話になったDespersやPantonicなどのスティールバンドのメンバー、Bradley氏のおかげで何度もパノラマチャンピオンになった人たちが真っ先に何かすべきでしょう。今のままでは…あまりに寂し過ぎます。
多くのパンマンにとって、神様のような、同時に父親のような、大きな存在だった氏。彼に憧れてパンを始めた方、アレンジャーを目指す方もたくさんいらっしゃるとのことです。筆者は大変残念ながら、彼のアレンジメントを生で拝聴する機会を永久に失ってしまいましたが… 楽譜もない現場で、天性の音感とひらめきで大編成のスティールバンドのグルーヴを作り上げていく様は、まさに神業、魔法をかけるようだったと聞きます。追悼盤が発売されたら、ぜひ入手して改めて彼の素晴らしい才能を偲びたいと思います。COSKELとしても、我々の活動を通じて少しでもできることがあればと、今、追悼アイテムの企画を検討しています。
下写真/在りし日のブラッドリー氏。